世界に夢を届けた魔法使い(後編)【お金の物語】

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世界に夢を届けた魔法使い

世界に夢を届けた魔法使い(前編)はこちら

シカゴに帰った彼は、漫画家になるため
単身、幼少時代を過ごしたカンザスシティーへ
引っ越します。

そしてこの街で”新聞に漫画を描く仕事”という
理想の職に就くことができました。

しかし、いくら才能があるとはいえ
新人に仕事が回ってくるほど
甘い世界ではなかったのです。

仕事がないので給料もほとんど貰えず
彼はすぐに、生活もままならない程の
窮地へと追い込まれてしまいました。

そんな彼を見かねた兄が
知人を頼り、広告デザインの仕事を紹介

そこで、生涯の友人となる「アブ・アイワークス」
との出会いを果たします。

その後、彼とアイワークスは
勤めていた会社の契約更新を機に
独立する事を決意しました。

2人はデザイン会社を設立
この時、彼らは若干19歳という若さでした。

しかし、共同経営はすぐに破綻を迎えてしまいます。

なんと、彼は
共同経営者のアイワークスを置いて
「カンザスフィルム社」という
アニメ制作会社に就職したいと言い出したのです。

しかし、この選択こそが
この後の彼の人生を決定的なものに変えました。

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短編アニメの制作を担っているうちに
漫画家であったはずの彼の夢は
次第にアニメーターへと向かいます。

そして同年、またもや独立を決意し
個人事務所を設立、この時の彼の仕事は
完全にアニメ制作に移行していました。

そして、人生初のオリジナルアニメ作品
「ニューマン劇場のお笑い漫画」は
質の高い娯楽作品との評価を受け
アニメ制作の仕事がどんどん彼の元へ
舞い込む様になったのです。

しかし、ここでもまた
会社経営は暗礁に乗り上げてしまいます。

制作に没頭するあまり、経理がずさんになり
これが原因で会社は倒産してしまいました。

しかし、彼は諦めることなく
映画産業の本場、ハリウッドに移り住み
今度は兄と共にアニメ製作会社を興しました。

ここで彼は「アリス・コメディー」シリーズや
「しあわせウサギのオズワルト」など
歴史に残る人気作品を次々製作していきます。

スタッフも増え、会社も大きくなった頃
他社の嫌がらせにより、一時は
倒産の危機に追い込まれたりもしましたが

この窮地を救ったのが
なんと、彼が過去に置き去りにした
「アブ・アイワークス」だったのです。

そしてこの後、彼らが26歳になった時
ついに彼を代表するキャラクター
「ミッキーマウス」が誕生しました。

それからも「白雪姫」「ピノキオ」
「ダンボ」など、夢の世界から飛び出して来た様な
愛らしいキャラクターを次々と世に送り出します。

こうして彼は次第に
「大人も子供も一緒に遊べる魔法の国の建設」という
とてつもない、壮大な夢を抱く様になりました。

そして1955年、ついに彼は
カルフォルニア州のアナハイムに
その夢であった魔法の国の建設を
本当に叶えてしまったのです。

この魔法の国こそ、現代でも人気のテーマパーク
「ディズニーランド」です。

そう彼こそが、今でも世界中の人々に
夢を与え続けている魔法使い
「ウォルト・ディズニー」です。

ウォルトは、この時のオープニングスピーチで

「私は、ディズニーランドが人々に幸福を与える場所
 大人も子供も共に生命の脅威や冒険を体験し
 楽しい思い出を作って貰える様な
 場所であって欲しいと願っています」

と語ったそうです。

その後、ウォルト・ディズニーは1966年
肺がんのため、亡くなってしまいました。

しかし、そんな彼がかけた魔法は
今でも世界中の人々の心に
暖かい光を灯し続けています。

今後、どんな事があっても
彼のかけた暖かくやさしい夢の魔法は
人々の心から消え去る事はないでしょう。

参考資料:DIAMOND online・Wikipedia
     Tokyo Disney Resort ホームページ

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