戦後の日本復興と闇市の存在

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戦後の日本復興と闇市の存在

こんにちは。
あしながおじさんです。

本日は、終戦記念日ですね。

今日では終戦から70年を迎え、戦争の悲惨な体験を直接伝えられる世代の方々が少なくなってきていることから、若い世代の “戦争に対する認識不足” がマスコミに取り上げられる一方、安倍政権の安保法案でも “平和” というものの概念の違いが、多方面での大きな論点の元となっています。

私も戦争を体験した世代ではありませんので、あまり偉そうなことはいえませんが、今回は少しでも戦争に関するお話しをお伝えできればと思い、少し論点をずらしたタイトルのような記事をお届けしようと考えました。

お金に関する記事をご期待頂いている方には、少し方向性の違う内容かもしれませんが、空いた時間にでもお読み頂けますと幸いです。

戦後の街の様子

第二次世界大戦で敗北した日本は、街という街が空襲によって破壊され、家を失った人々はバラックと呼ばれる焼け残った資材で建てられた簡易住居や、雨風をしのげる程度の半壊したコンクリート建造物の軒先での生活を余儀なくされていました。

政府からはわずかながらの配給があるものの、食べ物をはじめとする生活物資は不足。

多くの人が栄養失調となり、食べ物をめぐっての争いは日常茶飯事のことであったといわれています。

また医療品もほとんどありませんので、些細な怪我や病気で亡くなる方もあとを絶ちませんでした。

こうした状況に置かれた当時の日本人は、明日をどう生きるかが毎日の一番大きな課題で、常に襲ってくる空腹と戦いながら、日々を一歩一歩生きていかなければなりませんでした。

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それでも、戦時中には自由に付けることを許されなかった照明や街灯の明かりが、明るい未来を感じさせてくれる希望の光であったともいわれています。

闇市の存在

闇市の様子

出典:新日本の原点の記録・毎日新聞社

そんな深刻な食糧不足のなか、政府の配給を補うといった意味でも、街には “闇市” と呼ばれる市場が形成され始めます。

闇市と呼ばれるくらいですから、もちろん正規の営業許可をもった人が商売をしているわけではなく、取り扱われる商品は焼け残った工場や家屋から持ち寄られた製品や日用品、また農家や漁師の人々が、野菜や魚などを直接持ち込んで販売するといった形で行われていました。

需要と供給のバランスから、闇市で扱われる商品は法外に高い価格で取引されていたものの、庶民はここで食糧を手に入れる以外には、わずかばかりの国の配給を待つしか方法がなく、皮肉にも多くの人々の生活の支えとなっていったのです。

闇市は、土地の不法占拠や闇物資と呼ばれる不当な商品を扱っていたことから、警察の取り締まりの対象となることもありましたが、配給だけでは人々の暮らしが支えられないという背景もあり、黙認されることも多かったようです。

また、こうして誕生した闇市は、やがて人々の生活に欠かせない存在となり、いつしか蔑称の『闇』ではなく、やや柔らかい表現である『ヤミ市』と呼ばれ、親しまれるようになりました。

ヤミ市から成り上がった富豪

元々、闇取引という形式であったことから、公にされることはありませんでしたが、このヤミ市で財を成して一大グループにまで成長した企業が、現代でもいくつか残っているといわれています。

戦後の混乱と欲望が渦巻くなか、人々の「生きたい」と願う大きなエネルギーがヤミ市を生み出し、新しい経済の形を作り上げていったと思うと、何だかとても感慨深いものがあります。

人間に欲望がある限り、その需要をいち早く読み取って行動に移すことが人々のためとなり、世の中に新しい価値を生み出していく結果となることは、いつの世でも変わりがありません。

先の戦争で亡くなられた方々のご冥福を祈るとともに、今後も戦争のない素晴らしい日本が続いてくれることを切に願っています。

参考文書:自由学校(1953年)/ 新潮文庫〈第534〉・新日本の原点の記録(1970年)/ 毎日新聞社

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